フォトクリスタッフのスポーツ体験記 営業一部 田屋

2013年6月19日 水曜日
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フォトクリスタッフのスポーツ体験記第13弾!フォトクリエイトには、スポーツ経験のあるスタッフがたくさんいます。
今回の担当は、営業一部の田屋です!「野球」について語っていただきました★


 

小学校からずっと野球漬けの日々でした。幼い頃はとにかく上手くなりたくて、上達する理論も何もわからないまま、とにかく腕の痛みが限界になるまでバットを振ったり、ひたすら走ったり。家にTVゲームの1つもないほど、野球にのめり込んでいました。

その甲斐もあって、小学校・中学校ともに全国大会に出場しました。

高校は、野球が強い学校に入学したい!という思いから、沖縄の強豪校へ。実家は東京なのですが、高校3年間は沖縄の祖母の家に住んでいました。

 

入部するやいなや、小中と全国大会に出場したことで天狗になっていたことに気が付きました。今までの自分の実力が全く通用せず、当時の挫折感は忘れられません。

100人程の部員がレベル別にA・B・C・その他のチームに分けられるのですが、一番初めはAに入ったものの、その後すぐにCに降格。3年生になるまでずっとBとCを行き来していました。

当時は精神的に本当につらかったですね。Aに所属する後輩の姿を見ると、悔しくて仕方がなかったです。

それでも甲子園を目指して、練習に明け暮れました。1年間の休みはお盆と正月の2日間だけ。毎朝学校へ行く前に練習し、授業が終わるとすぐに部活へ向かいました。

 

3年生の6月から、甲子園予選が始まります。野球部員はみな、このために練習してきたと言っても過言ではありません。私自身ももちろんそうです。

その矢先の3月、右手の手首にケガを負いました。全治2ヶ月です。ドクターストップがかかり、甲子園予選には間に合わないと宣告を受けました。

 

しかし、どうしても諦めきれませんでした。甲子園に出場するために今まで頑張ってきたのに、ケガで出場できないという事実をどうしても受け入れることができなかったのです。

筋トレや走り込みをしたり、左手だけでバットを振ったりと、とにかく当時の自分にできる練習をしていました。

 

ある日、監督に呼び出されました。その口からは、「マネージャーをやってくれないか」の言葉。

言われた瞬間、頭が真っ白になりました。選手として、事実上のクビ宣告だと感じました。当時の私は、試合に出場できない悔しさから、生意気ながらも「マネージャーなんかやりません」と言い捨てたのです。

しかし監督から、「周囲の信頼が厚い田屋に、100人の部員をまとめてほしいんだ」と説得されました。監督がきちんとみることのできる選手数は、せいぜいスタメンと言われる20人程度。100人をまとめることはとても難しく、誰かの力が必要でした。

確かに、甲子園という1つの目標をみんなで追っているはずなのに、喧嘩やいざこざ等がしばしば起こり、目標を見失うメンバーが少なくないことを自分自身も感じていました。

「プレイしなくても、チームへ貢献することができる。」

心を入れ替え、プレイングマネージャーとして100人をまとめる決断をしたのです。

 

そこからは監督の右腕となり、一般的なマネージャー業務のほか、選手の指導等を行いました。プレイングマネージャーになってからは、特に選手たちとよく話しましたね。自分たちの目標は何か、選手たちに問い直しました。チームを支え、監督やキャプテンと共に、甲子園までみんなを引っ張っていけるよう尽力しました。

 

残念ながら甲子園本戦に駒を進めることはかなわなかったのですが、100人の部員をまとめた貴重な経験は、今でも自分自身の糧になっています。ケガによって辛い思いもしましたが、腐らず前向きな決断ができて本当によかったと思っています。

 

今はフォトクリエイトの営業一部で、野球の他さまざまなスポーツの写真を届ける仕事をしています。スポーツを通じて生まれる一体感のようなものに魅力を感じていて、ずっとスポーツに関わる仕事がしたいと思っていました。

スポーツには、プレイしても観戦しても、人の共感や感動を呼び、人と人を結びつける力があると思っています。そんな素晴らしい瞬間を写真に収め、人々にお届けしていく。まだ入社3ヶ月目ですが、これからの仕事にとてもわくわくしています。

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