「亡き弟」思い、表彰台に

2015年2月25日 水曜日
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ある特別なネックレスを身につけて、坂本一美さんは『小江戸川越ハーフマラソン2014』のスタート地点にいた。

10kmの部にエントリーした坂本さん。この大会スタート時刻の早朝はいつも寒い。

 

この大会に以前から出場し、状況を知っている坂本さんは、いつもどおり厚着をしていた。

 
ところが今回の大会に限って、予想外に日差しが強く暑かった。

「ハイネックを着ていたので、暑くて苦しくて苦しくて。」

 

スタートを切った坂本さんは、暑さと苦しさの中、いつものやり方で息を整えた。

「ゆま、りま、るま」とつぶやく。この名前は、坂本さんの可愛い孫3人の名前。

レース中に息が上がってきた時、何かいい方法が無いかと考え、大会本番最中にふと思いついた方法だ。

そして今回の大会では、もう一人の名前が増えた。

「おさむ」

坂本さんの弟の名前だ。

 

この大会からちょうど1年前の秋、坂本さんの弟が、49才の若さで急に亡くなる。弟の子どもは両親を失った。

弟の妻も2007年にこの世を去っていた。
「弟はとても優しい人でした。私の兄のような存在。」
駐車場で突然倒れた坂本さんの弟は、亡くなった妻をとても大事にしていた。
「最後に弟に会った夏は、弟の息子に子どもが産まれて、孫を抱けて良かったと喜んでいたんです。」
突然の悲しい出来事に、坂本さんはショックを隠せなかった。
 
弟の葬式の当日、遺影にネックレスを見つけた坂本さん。そのネックレスを形見に欲しいと子どもたちにお願いし、受け取った。
 
坂本さんが、小江戸ハーフマラソンの大会当日、胸につけていたネックレスとは、その弟の形見だったのだ。
ちょうど、弟の急死から1周忌をむかえた時期の大会だ。
 
「普段は、このネックレスは手元に持っていますが、身にはつけていません。レースの時になると、このネックレスを身につけるんです。弟に見守っていてほしいという思いで。」
 
 
坂本さんがマラソンを始めたのは、2008年1月。
「最初は、ジムのランニングマシンで5kmも走れなかったんです。」

自身、出産を機に、ふくらはぎの静脈瘤に不調が出たため手術をし、丈夫な体を作りたいとジムに通い始めた。
 
通っていたジムの仲間にも走ることを誘われていた。24時間テレビで、タレントのエド・はるみさんが走っているのを見て、「私にも出来るのではないか」と感じた。
走ったことがないけど、走る決心がついた。
 
ジムのランニングマシンで走っていた坂本さんに、「外で走ればもっと走れるよ」、と仲間たちが声をかけた。
 
そのアドバイスを受け、坂本さんの走行距離はだんだんと伸びてきた。
 
2008年10月、初めて出たレース5kmの部で26分でゴールすることができ、76人中10位につけた。その後、奥秩父三峰山マラソン大会で同距離を2位、タイムは19分に縮めることができた。
そして、表彰台に登ることが多くなってきたのだ。
 
「大会では、常に表彰台に登りたいと思うようになったんです。」 
 
 
2010年、坂本さんはジムの仲間と共に第1回となる小江戸川越ハーフマラソンに出場する。6位入賞を果たしたこの当時、ハーフでは1時間50分を切れるレベルになっていた。
 
「走るようになってからは、体調も良いですし風邪もひきません。」
 
一人ではきっと走れなかったことも、仲間となら頑張れる。大会に出ることが自分へのいいプレッシャーにもなり、生活のスパイスにもなっている。
 
今回の2014年の大会は、暑さとの戦いのレースとなったが、「沿道の人の声援で頑張ることができました。」
そして、弟を心の中で思いながらゴールを切った。
前年の8位を上回ることはできなかったが、10位入賞を果たした。

今まで、10kmの距離にこだわって練習し、大会に参戦してきた坂本さんだが、仲間の勧めもあり、今年3月の板橋マラソンでは、初めてのフルに挑戦する予定だ。

そうなると、シューズや練習にも新たな調整が必要だ。「未知の世界なので、どうなるのか、今から楽しみです。」

初めて挑戦するフルも、もちろん弟のネックレスを身につける。

苦しい時に心の中で支えてもらい、これからも、坂本さんは弟を胸に思いながら、表彰台に登りつづけるだろう。

 

(文責:石渡 素子)

 

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