走りながらお互いを思う夫婦

2015年4月1日
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今回は、お客様からいただいたエピソードをご紹介。

ご夫婦で第33回川口マラソン10kmの部に参加した、H.Mさん。

大会当日、妻がバテてしまったつらそうな姿を、H.Mさんは優しいまなざしで見守ります。

 

今回、夫婦二人で第33回川口マラソンに参加をしました。

妻は、ダイエットも兼ねての運動をしたいということで、10kmを完走するために練習を重ねました。

 

私は走歴が長く、毎年同大会でハーフマラソンに出場しておりましたが、ランニング嫌いの妻が頑張って10kmに出場すると決めたので、一緒に走りたいと考え今回は共に10kmに挑戦することとなったのです。

 

レース当日は天気が良く、気持ち良く走ることができました。

順調に走っていた妻が、ゴール手前1kmの辺りから失速し始め、それでも止まらずに最後の踏ん張りを見せて、今まで見たこともないようなヘトヘトな状態になりながらゴールできました。

その、ゴール手前1kmの辺りで、もうばててしまいそうな妻と私の写真が、今回撮影されておりました。オールスポーツのサイトでその写真を見て、ヘトヘトな妻の姿を見て爆笑しました。

 

みんなで、楽しい時間を共有することができたのが、今回写真を購入するきっかけになったと思っています。

こんなにたくさん、素敵な写真を撮影して戴き本当にありがとうございました。

 

これからもオールスポーツを利用したいと思っておりますので、スタッフの皆様の更なる活動の飛躍に期待しております。

 

(H.Mさんのエピソードより)

創立138年で初の快挙!

2015年3月25日
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『第45回 香川県小学生選抜陸上競技大会』に出場を決めたH.Mさん。香川県小豆郡の小学5年生だ。

小豆郡とは、瀬戸内海に浮かぶオリーブの生産で有名な香川県小豆島と豊島を含む地域。

 

H.Mさんは陸上以外にも様々なスポーツが好きで、少年野球や水泳も力を入れている。毎年夏に開催される郡内小学生水泳記録会、背泳ぎ50m・100mで県大会にも選抜され出場。

秋に同郡で開催される小学生陸上記録会に出場し、ソフトボール投げの部で2位に約5mの差をつけ、今回『第45回 香川県小学生選抜陸上競技大会』に出場を決めた。

「小豆島は小さな島。この小さな島から香川県の大きな大会へ行くということが、H.Mには少しプレッシャーになったかもしれないです。」母のH.Sさんは言う。

大会当日はH.Mさんが通う小学校の校長先生はじめ、たくさんの先生方や家族一同も、応援席へ足を運んだ。

 

この大会ソフトボール投げの部は、予選で3投、決勝に進むとさらに3投することができる。

この日、H.Mさんはソフトボール投げが普段に比べ、やや思わしくない出だしとなった。

 

実は、この大会の2ヶ月前からH.Mさんは身体の、とある症状に見舞われていたのだ。

それは、スポーツをする成長期の子どもに多く見られる、膝の骨の下にある成長軟骨部が剥離することで痛む「オスグッド」というものだ。

普段の生活中でも練習を終え、下校する頃は歩く度に足をひきずるほど痛む。

そのため、「大会の1ヶ月前から、走り込みができず、ナーバスになっていたと思います。」H.Sさんは、娘を気遣ってそう言った。

 

大会当日、オスグッドの痛みと闘いながら、H.Mさんは3投目までをなんとか投げ終わった。この時点で決勝の8名に残った。

決勝からの、続く4投目も5投目も、どうしてもいつもより伸びが少なく、あまり良くない。

H.Mさんは、リラックスしているはずだった。大人数の中で誰とでも気さくに話す明るい性格。緊張して実力が出せないということは無いはず。

また、この大会の年の夏、H.Mさんの祖母は突然思わぬ病に倒れ、心臓の緊急手術を受けて入院するも、この大会を楽しみに退院、応援に駆けつけてくれた。そんな家族のためにも頑張りたいとH.Mさんは思っていたにちがいない。

ただ、オスグッドの痛みには、そんなH.Mさんでも勝てないのだろうか。

 

もうこれ以上追い上げるのは難しいのだろうか。誰もがそう思った、6投目。

 

最後の投球の結果がわかった瞬間、H.Mさんを応援にきていた全員が、歓喜の渦に包まれた。

最後の一投が暫定トップの記録を約1m上回った。そしてH.Mさんの優勝が決まった。

H.Sさんは、「みなさんの喜び方といったら、はんぱ無かったです。」と微笑む。

そして、表彰台で満面の笑みを浮かべたH.Mさん。

 

「オスグッドの痛みにも耐えて、よく頑張ってくれたと思います。最後まで諦めずにやれば、結果につながるということを実感したのではないでしょうか。」そうH.Sさんは言う。

前年の同大会において、同小学校の男子が幅跳びの部で優勝。そして、今回、H.Mさんは同大会同校2年連続の優勝者となる。

本人や家族の嬉しさはもちろんだが、小学校としても創立138年の歴史において2年連続優勝は、同校史上初というとても栄誉あること。

 
現在、小豆郡には小学校が9つある。しかし、4月にはH.Mさんの通う小学校を含める4つの小学校が、閉校となる。そして、統合された新しい小学校が開校する。それでも、郡の選抜大会は今までどおり開催される。来年度、6年生なっても、陸上は続けたいというH.Mさん。

H.Mさんの将来の夢は、「救急救命士になること。」母のH.Sさんが消防署に事務職員として勤務していることから、消防士や救急救命士の活動をより身近に感じているのかもしれない。

 どんなに足が痛くても、県で1位を獲ることが出来る力は、将来の夢をつかむ力にもつながっていくにちがいない。

 

 

 

 

(文責:石渡 素子)

 

いけるか入賞!

2015年3月18日
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2011年から今年で5回目の出場となった『美作市F1ロードマラソン大会in岡山国際サーキット』。サーキット場は滅多に入れるところではないので、秋元さんにとって年に一度の楽しみなイベントなのだ。

「きれいに舗装されたコースなので、とても走りやすいです。だからといってラクなレースだと思ったら大間違いなんですけどね」

 

 直線は平坦な道のり。しかしカーブになると傾斜。本物のサーキット場というのは思いの外、アップダウンが激しいのだ。しかも、マラソンコースはサーキット場を飛び出して、一般道も使用する。岡山国際サーキットは山の上にあるため、一度途中まで降りて、折り返し地点を通過したのち、また山へ上がって行かなくてはならない。

「私はいつも10kmの部に出場しているのですが、10kmでさえペース配分を間違えると歩くことになってしまうんです」

 秋元さんは毎回、自己ベストを狙っている。昨年は40分ちょっとだったので、今年は39分台を目標にしていた。

 

 スタートラインに立つ際、実力者は前へ行くことが暗黙の了解。秋元さんは今回、なんと自ら最前列に並んだ。しかも、まわりからの割り込み等はほとんどなかった。紛れもなく実力を認められた証拠だった。

「タイムからいって優勝なんておこがましい。だけど入賞ならいけるんじゃないか」

 そんな思いが頭の中をグルグル回った。

 

 

レースの火ぶたが切って落とされた。ハイペースで走ったつもりはないのに、秋元さんが先頭に立った。

「どういうことだと思いましたね。なぜ誰も行かないんだと。でも、前に誰もいない状況って、とても走りやすいと思いました」

 前の選手との接触を気にしなくてもいい。しかし、その安堵感は微かなものでしかなかった。背後からの見えないプレッシャー。こちらのほうが支配的だった。

「圧倒的に速い人が何名かいるので、いつ動くんだろう、いつ追い抜くのだろうと、気持ちの悪さがありました」

 そして1km手前で、本来の優勝候補たちが秋元さんを抜き去った。

「やっぱりという感じです。ようやく、本当の意味でのレースが始まったと思いました」

 

優勝は無理でも6位までには入りたい。前半は調子よく走ることができた。だが、8位で折り返すも、そこからの登りでペースが落ちてしまう。6位までが入賞なので、これではいけないのだ。

 ところがペースが上がらない。登り坂が苦しい。追いかけても追いかけても遠のく7位との距離。

 

 結局、秋元さんは8位でゴールテープを切った。前の選手とは1分以上離されてしまった。それどころか、9位の選手にかなり詰め寄られていた。その差は25秒。

順位は不満だった。それでもタイムには満足した。38分35秒。目標だった39分台を遙かにしのぐ記録が出たのだ。

「年齢を重ねても自己ベストを出せるのがマラソンの魅力なんですよね。自分はまだまだ伸びるような気がします!」

 

来年はもっといい順位を目指す…のかと思えば、ハーフマラソンの部へ変更することも視野に入れているという。10kmかハーフか。どちらを選択するにせよ、今以上の走りを目指すことだけは変わらない。

 秋元さんのさらなる成長を期待したい!

 

(文責:ライター金子塾 滝沢)

 

 

ペダルを踏ませた東北魂

2015年3月11日
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人生の中で経験したことのない達成感とはどんなものだろう。
「第3回 ツール・ド・三陸 サイクリング チャレンジ 2014 in りくぜんたかた・おおふなと」に参加した林田 良平さんは、そんな達成感につつまれる。
「自分の目標を達成したというより、地元の方たちの声援に応えることができた感謝の気持ちからです。」
ここ三陸は2011年、東日本大震災で津波による大きな被害を受けた場所。
 
声援を送っていたのは、その地域の大勢の人たち。

「三陸の被災者の皆さんは、震災後、想像もできないほどのきびしい生活を送っていらっしゃるはず。それを感じさせないほど明るく大きな声援を送ってくださいました。」
車椅子から一生懸命フラッグを振っている人。杖で体を支えながら応援している人。林田さんはその観客の中に沿道で杖を使っていた、ある女性とハイタッチをした。
その手が重なるほんの一瞬の間に、その女性から今を力強く生きている「東北魂」を感じとった。
 
 
スタートを切ってしばらくすると、林田さんの視界に、白い1棟のマンションがあった。
「一見、大きな損傷が無いように見えたので、震災後に新しく建てられたのかと思いました。」しかし、よく見ると、窓や扉が変形していた。
林田さんの脳裏に思い浮かんだのは、平穏で美しい海が地震により、そこに住む人の住まいや建造物に想定外の変化をひき起こした光景だった。
その後、林田さんはたくさんの花束が手向けられているのを目にする。被災者の方たちはきっと、全力で逃げたのだろうと想像された。
「そう思った直後に、人の命をうばい去った津波に怒りが込みあげてきて、よりいっそうペダルに力が入りました。」
 
このツール・ド・三陸開催の記事を新聞で見つけ、すぐに大会参加申し込みをした林田さん。
「考えるよりも先に申し込みをしていました。」
2011年に林田さんは、震災から2カ月後の宮城県宮城野区で災害ボランティアに参加していた。また、大学の自転車部で部活動もしていた。当時のその2つの経験が、今回の大会申し込みへリンクした。
自転車を始めて5年後、初めて出た大会がこのツール・ド・三陸だった。
「もし50Kmを自分1人で走っていれば、難所ポイントのリアス式海岸はアップダウンの激しい区間で、ロードバイクを押して坂を登っただろうし、途中で走るのをやめる事もできました。」
困難な状況の中でも強く生きる三陸の方からの声援があったからこそ、「負けるものか」という気持ちでいくつもの急な坂道を制覇できたのだろうと林田さんは感じている。
そして、一度も自転車を降りること無く完走することができた。
 
林田さんは、考える。「この大会の参加者が「勇姿」として、三陸の皆さんへ元気と生きる喜びや楽しみを届けられたら。」
今、国内はもとより、世界各国の人たちが、来日し復興支援活動をしていることに、林田さんは刺激を受けている。そして、これから自分自身、どのように協力できるか思いをめぐらせている。
 
林田さんの地元である埼玉県では、2013年からツール・ド・フランスさいたまクリテリウムが開催されるようになった。美しい自然や食文化が数多く存在する東北でも是非ツール・ド・フランスの名が冠した大会が開催され、海外の人たちにも被災地の活性化に協力してもらえたらと、林田さんは切望している。
林田さんは、次回もツール・ド・三陸に参加したいと考えている。
「今年よりも更に復興が進んでいることを心から願っております。またツール・ド・三陸でお会いしましょう!そして、応援をよろしくお願いします。」
 
(文責:石渡 素子)
 

選手の立場になって/鈴木 優太カメラマンの撮影秘話

2015年3月4日
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春の訪れはトレイルランシーズン到来でもあります。私自身、趣味でトレイルランをやっていますし、カメラマンとして大会にお邪魔することも多々ありますので、『いよいよだ!』という思いです。

今回はトレイルランの撮影についてお話ししたいと思います。

 

 撮影場所は山の中。どこで撮ろうが基本的に自由ですが、いい写真を撮ろうと思えばそれではいけません。まず、選手が木の根っこなどでつまずきやすいところはNGです。足下が悪い場所では、選手たちは下を向いて走っているので顔が分からないのです。

 下り坂も撮影には不向き。スピードが出てしまうので、選手はやっぱり目線を下にして走ってしまいます。

 木々の陰など、選手から見えづらい場所も適しません。主催者は安全確保に細心の注意を払っているとはいえ、山の中ですから何が起こるか分かりません。動物もいます。選手は危険を頭の片隅に入れながら走っているので、不意にカメラマンの姿を発見して驚かせてしまっては、彼らのリズムを乱しかねないのです。

 

 

私は撮影ポジションを決めるとき、現地に着いてからでは遅いと思っています。前日までに地図でコースを調べ、このあたりにしようと目星をつけています。そうしないと、広いコースにおいて、ベストポジションを探し出すことができません。

 さらに、当日、ポイントを決めたら、50mほど実際に走ってみることにしています。足下を確かめ、選手とカメラマンの距離間やランナーからの見通しの良さなどを確認するのです。自分も大会に出場するので、選手の立場になってカメラマンの位置をチェックするわけです。そして問題なしとなれば、カメラのセッティングを開始します。

競技中、選手が見えてきたら、『頑張れ』と声をかけます。近づいてからよりも、遠くから声をかけたほうが、選手たちに安心感を与えます。トレイルランはマラソンとは違い、かたまって走ることがほとんどありません。バラバラの状態なので、気持ちが心細くなりがち。そういう中ですから、人の声が聞こえるとありがたく感じられて、表情もニコニコするのです。

『頑張れ』の言葉の裏には、『エンジョイしてください』という気持ちがいつもあります。私自身、山を走っていると自然のエネルギーをもらえるようで楽しいです。選手たちはポジティブな気持ちで走っているとは思うのですが、中にはつらそうにしている方もいるので、ついついそんなことを念じてしまいます。

 

ここ数年は大会に出るより、撮る機会が増えています。私は山が好きなので、どちらもおもしろいです。

選手のみなさん、これからも楽しみながら走ってください。私はその姿に元気をいただいています!

(文責:ライター金子塾 滝沢)

特別な地で子どもと参加できたことに感謝

2015年3月4日
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今回は、お客様からいただいたエピソードをご紹介。

O.Mさんは息子さんと一緒に、ご自身にとって特別な地沖縄で開催された、

自転車レース美ら島オキナワCenturyRun2015」に参加しました。

 

今回写真を撮影していただきとても感謝いたします。

山口県から初めてこのようなイベントに参加をいたしました。

普段は子供と走っても後ろからしか写真を撮る機会が無いのですがゴールの瞬間が残せたことはとても思い出になりました。

 

 

私の子供は障害がありスポーツをするにあたりルールの理解が難しいためなかなか参加ができませんでした。

ですが自転車のサイクリングでしたらスタートからゴールに向かって走るとわかりやすいため今回参加させていただきました。

沢山の方にこの写真を見せることができとても嬉しく思います。

また沖縄は私の大叔父が戦死をされて平和祈念公園の石碑に名前が刻まれており、

子供と訪れたいと思っておりましたので沖縄は特別な地であります。

またその地でのイベントと言うこともあり私は子供と参加できたことがとても嬉しく思います。

沖縄の地で大叔父の血縁が生きている、障害があっても頑張っている。こんな姿が見せれたような気がしております。

またその瞬間を残せたことはとても嬉しく思います。

 

他のイベントでまた同じように写真を撮られる機会があればぜひとも購入させてください。

ありがとうございました。

 

(O.Mさんのエピソードより)

「亡き弟」思い、表彰台に

2015年2月25日
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ある特別なネックレスを身につけて、坂本一美さんは『小江戸川越ハーフマラソン2014』のスタート地点にいた。

10kmの部にエントリーした坂本さん。この大会スタート時刻の早朝はいつも寒い。

 

この大会に以前から出場し、状況を知っている坂本さんは、いつもどおり厚着をしていた。

 
ところが今回の大会に限って、予想外に日差しが強く暑かった。

「ハイネックを着ていたので、暑くて苦しくて苦しくて。」

 

スタートを切った坂本さんは、暑さと苦しさの中、いつものやり方で息を整えた。

「ゆま、りま、るま」とつぶやく。この名前は、坂本さんの可愛い孫3人の名前。

レース中に息が上がってきた時、何かいい方法が無いかと考え、大会本番最中にふと思いついた方法だ。

そして今回の大会では、もう一人の名前が増えた。

「おさむ」

坂本さんの弟の名前だ。

 

この大会からちょうど1年前の秋、坂本さんの弟が、49才の若さで急に亡くなる。弟の子どもは両親を失った。

弟の妻も2007年にこの世を去っていた。
「弟はとても優しい人でした。私の兄のような存在。」
駐車場で突然倒れた坂本さんの弟は、亡くなった妻をとても大事にしていた。
「最後に弟に会った夏は、弟の息子に子どもが産まれて、孫を抱けて良かったと喜んでいたんです。」
突然の悲しい出来事に、坂本さんはショックを隠せなかった。
 
弟の葬式の当日、遺影にネックレスを見つけた坂本さん。そのネックレスを形見に欲しいと子どもたちにお願いし、受け取った。
 
坂本さんが、小江戸ハーフマラソンの大会当日、胸につけていたネックレスとは、その弟の形見だったのだ。
ちょうど、弟の急死から1周忌をむかえた時期の大会だ。
 
「普段は、このネックレスは手元に持っていますが、身にはつけていません。レースの時になると、このネックレスを身につけるんです。弟に見守っていてほしいという思いで。」
 
 
坂本さんがマラソンを始めたのは、2008年1月。
「最初は、ジムのランニングマシンで5kmも走れなかったんです。」

自身、出産を機に、ふくらはぎの静脈瘤に不調が出たため手術をし、丈夫な体を作りたいとジムに通い始めた。
 
通っていたジムの仲間にも走ることを誘われていた。24時間テレビで、タレントのエド・はるみさんが走っているのを見て、「私にも出来るのではないか」と感じた。
走ったことがないけど、走る決心がついた。
 
ジムのランニングマシンで走っていた坂本さんに、「外で走ればもっと走れるよ」、と仲間たちが声をかけた。
 
そのアドバイスを受け、坂本さんの走行距離はだんだんと伸びてきた。
 
2008年10月、初めて出たレース5kmの部で26分でゴールすることができ、76人中10位につけた。その後、奥秩父三峰山マラソン大会で同距離を2位、タイムは19分に縮めることができた。
そして、表彰台に登ることが多くなってきたのだ。
 
「大会では、常に表彰台に登りたいと思うようになったんです。」 
 
 
2010年、坂本さんはジムの仲間と共に第1回となる小江戸川越ハーフマラソンに出場する。6位入賞を果たしたこの当時、ハーフでは1時間50分を切れるレベルになっていた。
 
「走るようになってからは、体調も良いですし風邪もひきません。」
 
一人ではきっと走れなかったことも、仲間となら頑張れる。大会に出ることが自分へのいいプレッシャーにもなり、生活のスパイスにもなっている。
 
今回の2014年の大会は、暑さとの戦いのレースとなったが、「沿道の人の声援で頑張ることができました。」
そして、弟を心の中で思いながらゴールを切った。
前年の8位を上回ることはできなかったが、10位入賞を果たした。

今まで、10kmの距離にこだわって練習し、大会に参戦してきた坂本さんだが、仲間の勧めもあり、今年3月の板橋マラソンでは、初めてのフルに挑戦する予定だ。

そうなると、シューズや練習にも新たな調整が必要だ。「未知の世界なので、どうなるのか、今から楽しみです。」

初めて挑戦するフルも、もちろん弟のネックレスを身につける。

苦しい時に心の中で支えてもらい、これからも、坂本さんは弟を胸に思いながら、表彰台に登りつづけるだろう。

 

(文責:石渡 素子)

 

弱音は許さない!

2015年2月18日
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名護市を中心とした沖縄県北部で毎年行われる『ツール・ド・おきなわ』。二日間計19レースが実施されるという、この地域きっての巨大イベントだ。
神田佳代さんと拓飛(たくと)くん親子は、『恩納村ファミリーサイクリング 70km』の部に参加した。
 「参加するきっかけは、息子が10歳を迎えたことでした。1/2成人式ということで、記念に何かをしようということになったんです」
 その何かが70kmのサイクリングだなんて…。

「家から古宇利島まで11kmあるんですが、息子はそこまで自転車で行ったことがあるんです。そして1周6kmの島をグルッと回って帰ってきました。そういう経験があったし、私もいっしょに参加するからということで、エントリーをしました」
 
 神田さんはエアロビクスをしており、ロッククライミングの経験もあるスポーツウーマン。拓飛くんは運動好きの水泳をこよなく愛するスイマー。だが、拓飛くんは弱音を口にしやすい子なのだという。この“気質”を気にしていた母は、これを機に少しでも改善したいという気持ちが強かった。
そしてこれこそが『恩納村ファミリーサイクリング 70km』の部に参加した裏テーマでもあったのだ。
 
 拓飛くんの弱音は登り坂で起きた。平地のようにスイスイ進むことができず、力を込めて自転車をこぎ続けなくてはならない場所だ。
「登り坂になると、拓飛は『降りたい』と言うんですよね。私は後ろからついていき『降りていいのは休憩所だけ』と返事をします。すると今度は『しんどい』と。すぐさま『お母さんもだよ』と言い返します。また、拓飛よりも小さい子も参加していたので、『あの子も頑張っているよ』と言って、『じゃあ、頑張る』と。そんなやり取りをしながら、登り坂を進んでいきましたね」
 
 拓飛くんは決して体力のない子どもではない。むしろあるほうだ。その証拠に休憩所に入ると、母はマッサージやストレッチで体力回復に努めるのに、疲労した様子もなく爽やかにチョコやジュースを口にするのだから。
 
 後半に入ると、まさかの展開に…。なんと神田さんが遅れだす。
「後半は拓飛のほうが速かったです。私は登り坂で追いつき、平地で引き離される感じでした。拓飛が『待っていようか』と声をかけるのですが、『止まってしまうからダメ』と言いました。我慢して進んでいけば、いつかは自分が優位になる時が来るから、あきらめずに進み続けなさい。何事のあきらめないことが大事と息子に言い聞かせたと思います」
 
 最後は母が踏ん張ってペースを上げ、二人で併走しながらゴールした。
「『できたね』と言ったら、『やっと終わったよ』と答えていましたね」
『恩納村ファミリーサイクリング 70km』に参加した子どもは、近所では拓飛くんだけだった。しかも完走したことで、翌日からしばらくはいろんな大人たちから「偉いね」「凄いね」とたくさん声をかけられた。さらに、拓飛くんの友達のお兄ちゃんは「小学生の拓飛が70kmを完走したのなら、中学生の僕は来年100kmに出る」と刺激を受けたという。
 
 神田さん曰く、10歳の節目は拓飛くんのチャレンジの年と定めている。今回以外も、神田さんの実家がある大阪へ行ったときは登山にも出掛けた。
ダメだと諦めず、挑戦する人間になってほしい。乗り越えれば達成感を得られるし、まわりからも評価される。母の切なる思いはスポーツを通して伝えられている。
10年後、本当の成人式を迎えたときはどんな大人に成長しているのか。今から楽しみである。
 
(文責:ライター金子塾 滝沢)
 

走ることで生まれる自分の特別な時間

2015年2月11日
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昨年、1月30日熊野古道トレイルランレース(50km)を完走し、2月に丸亀ハーフマラソンを1時間30分でゴール、4月はとくしまマラソンを3時間30分で走った佐藤裕子さん。

今年からはトレイルランにはまっていて、毎週土曜日に藤井寺〜焼山寺往復、日曜日はパーソナルトレーニング、平日は思いつきで片道6kmの通勤ラン、深夜10kmランなど月200kmを目標に練習してきた。

現在、看護師をしている佐藤さんが走るきっかけとなったのは、20081225日の時のこと。

佐藤さんは子どもたちと過ごすことが好き。けれど、日頃の仕事が忙しく、子どもたちと一緒に過ごす時間を作ることが難しかった。

 

病棟勤務の時は、夜勤の入りと明けも走っていた佐藤さんは、なんとか子どもたちとかかわる時間を持ちたいと思い、子どもたちと「夜のお散歩」に出かける。

 「雪の日でも、子どもたちの小さな手をにぎり自分のコートのポケットに入れて歩きました。なぞなぞや、しりとりで盛り上がるのに飽きた頃、誰かが、ちょっと走ってみる?って言い出したのが始まりです。子どもをおんぶして走ることもありました。」

そして、子どもたちと過ごす時間と共に、走る時間も増えてきた。

 

「走り始めてから、色々なことに負けそうな自分から、少しずつ進化することができました。走るきっかけをくれた子どもたちには感謝しています。」

佐藤さんにとって、走っている時は特別な時間。気持ちが充実し、自分が一番輝ける。色々なことを考える。自分をリセットすることができたり、走った後の達成感を得られることが好き。

 

そんな中、佐藤さんは、右股関節炎症のため水がたまり2ヶ月間、ランニングの練習を休んでいた。

記録が難しいなら、せめて記憶に残るレースにしようと、インターネットで見つけたこの着ぐるみを着て職場の仲間と『阿波吉野川マラソン大会2014』に出場した。

「走るのが初めての人を含めて、みんなで走る機会を増やそう」と、職場のチームワーク向上のためにも、今大会に出場した。自分のタイムより、仲間を思いながら走ろうと思った。

「応援しながら走るって楽しい〜」と。

 

佐藤さんは、ハーフ初出場の女性スタッフたちやナスの着ぐるみを着た男性スタッフたちと、スタートを切った。

走行中は女性スタッフの体調ばかり気にしていたが、ナスの気ぐるみを着ていた男性スタッフの一人が熱中症寸前に。 

佐藤さんはその男性を応援しながら併走した。そして、男性スタッフと佐藤さんは2時間43分53秒で無事にゴール。

「最後は熱中症寸前のナスちゃんの手をとって万歳のポーズでゴールしました。」

結果的にはチーム全員完走できたことが、佐藤さんは何よりも嬉しかった。

 

佐藤さんは、60歳までにウルトラトレイル・マウントフジや、そのショートバージョンのSTY=静岡から山梨(英名=SHIZUOKA To YAMANASHI))に出場して完走するという夢を持っている。

また、絵本が大好きな佐藤さんは、以前、子どもたちに読み聞かせをすることもあった。

「走れなくなったら、また子どもたちに読み聞かせをしていきたいです。」

走ることで人生をより充実させている佐藤さんは、走るきっかけをくれた子どもたちと共に過ごすことにも、さらなる夢を抱いている。

(文責:石渡 素子)

広いゲレンデと大勢の子どもたち。全員撮るには工夫が必要/菅原カメラマンの撮影秘話

2015年2月4日
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昨年末の12月27日、28日、子どもたちのスキー教室を撮影してきました。27日は岩手県の夏油高原、28日は同じ岩手の安比高原です。

 

 
スキー教室で気をつけていることは、参加者全員を漏れなく撮影すること。そのために私はメモ帳を携帯するようにしています。参加する子どもたちは50名を越えています。さらに初級、中級、上級に分かれてしまうので、誰を撮って、誰を撮影していないか分からなくなりがちです。シャッターを切るたびに、身につけているゼッケン番号を書き込んでいくことで、確実に全員を撮ることができるのです。
 
 でも、ゼッケンがない場合があります。ビブスは着ているのに番号が書かれていない…。そんなときは、インストラクターが名札をつけているので、その方の名前と付いている子どもたちの人数をメモして、一人ずつ撮影するようにしています。そうすれば撮り漏れを防ぐことができるわけです。
 
 メモを取りながらの撮影ですので、移動する手段としてスキーを履きますが、ストックは持ちません。カメラも望遠、広角と首に2台さげている状態ですから、ストックがあるとフットワークが重くなってしまいます。
 
 
 
子どもたちのレベルは様々です。高学年だから上手、低学年だから下手というわけではありません。高学年でも初めてスキーを滑る子もいれば、低学年でもスイスイ降りてくる子もいます。
初心者の子はスピードが出ない分、フレームに収めやすいのですが、怖がって下を向いてしまいます。これだと顔が見えないので、こちらがしゃがんだり腹這いになったりして、下から撮影するようにしています。
上級者の子は降りてくるスピードが速いので、一人単独で滑っている分にはいいのですが、複数で連なって降りてくると一度に全員を写すことは難しいです。そういう場合は、彼らも一気に下までは降りないので、途中止まったところよりも少し下まで降りいき、滑ってくるのを待ち構えて、再び撮影するようにしています。
 
 スキー教室はスキーをしているところだけを撮影するわけではありません。食事のシーンも撮ります。子どもたちが1泊するときは、部屋でくつろいでいるところやお楽しみ会なども撮影します。部屋でくつろいでいる写真を撮るときは、こちらが無言だと向こうも構えてしまうのでおしゃべりしながら撮影するようにしています。私は高校で講師をしていた経験があるので、子どもたちに話しかけるのは得意。そしてそのほうが、リラックスしたいい写真が撮れるのです。
 
 子どもたちが泊まっても、私は日帰り。そして翌日、また次の現場へと向かいます。スキー教室はシーズン中に数回ありますが、思い出に残る最高の瞬間を写真に残したいと思っています。
 これからも全力で撮り続けますので、よろしくお願いします。
 
(文責:ライター金子塾 滝沢)